作品情報:マー -サイコパスの狂気の地下室-
基本情報
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題名 | マー -サイコパスの狂気の地下室- |
原題 | Ma |
原作 | – |
監督 | テイト・テイラー |
脚本 | スコッティ・ランデス テイト・テイラー |
製作 | ジェイソン・ブラム ジョン・ノリス テイト・テイラー |
製作総指揮 | オクタヴィア・スペンサー ロビン・マルケイ・フィッシェラ |
音楽 | グレゴリー・トリッピ |
撮影 | クリスティーナ・ヴォロス |
編集 | ルーシー・ドナルドソン ジン・リー |
配給会社 | ユニバーサル・ピクチャーズ |
製作会社 | ブラムハウス・プロダクションズ ウィオラ・フィルムズ |
製作国 | アメリカ合衆国 |
公開日 | 2019年05月31日(アメリカ合衆国公開日) ※日本では劇場未公開 |
作品時間 | 99分 |
出演者 | オクタヴィア・スペンサー ダイアナ・シルバーズ ジュリエット・ルイス マッケイリー・ミラー コリー・フォゲルマニス ジャンニ・パオロ ダンテ・ブラウン タニエレ・ウェイバー ドミニク・バージェス ヘザー・マリー・ペイト テイト・テイラー ルーク・エヴァンス マーガレット・フィーガン ミッシ パイル アリソン・ジャニー キャーナ・シモーネ アンドリュー・マシュー・ウェルチ スカイラー・ジョイ ニコール・カーペンター イライジャ・ブレイ クリーク・ウィルソン マイカ・ジョセフ・グレイヴス ビクター・ターピン デニス・ロドリゲス ジニー・パターソン ルーイ アール グレイソン・オールダーマン カティラ・バンクス アシュリー・ブラゼル エマ・フランセス・バージ エイドリアン・マリー・コイン ラマー・ロット デニス・ノール ソフィア・ピネダ ダニー・トッド カルビン・ウイリアムズ クリスティーナ・ミシェル・ウィリアムズ |
あらすじ
2月に転校してきた16歳の少女であるマギー・トンプソン。
高校ではすぐに友人ができ、一緒にお酒を飲むことに……。
未成年の彼女たちは、通りすがりのスー・アン・エリントンに代わりにお酒を買ってもらうことにした。
実は、マギーたちとスー・アン・エリントンには因縁があるのだった――。
感想と考察:マー -サイコパスの狂気の地下室-
感想
本作は、ダイアナ・シルヴァーズさんが演じるマギー・トンプソンが主役ではなく、オクタヴィア・スペンサーさんが演じるスー・アン・エリントン(マー)が主役です。
監督のテイト・テイラーさんが友人のオクタヴィア・スペンサーさんに出演依頼をしたのが発端。そこから白人女性用に書かれた脚本を、黒人女性のオクタヴィア・スペンサーさんが演じることを前提に作り替えられたという裏話があります。
そして、オクタヴィア・スペンサーさん自身が、製作総指揮を執る力の入れ込みようも注目ということで、この主役を勘違いしないことが、本作一番のポイント。
タイトル見れば分かるよ! と言う人も多いでしょうね。
しかし、『ラストサマー』のような<友人たち>が話をリードするから一見主役に思っちゃいがち。
「最終的に逃れることが出来てめでたし。めでたし。」 という今までのホラー作品と同じじゃない! これが実感できる作品となっています。
さて、今までと同じじゃないで言えば「ホラー作品で一人目に殺されるのは黒人」という古いステレオタイプの考えをひっくり返しているという事です。これは、監督のテイト・テイラーさんのインタビュー記事に載っており、偶然ではなく意図的に仕組まれたストーリーであることも好ポイントです。
もうね、人種で差別とか古い考え方を持つのはやめようよ。って話よ。
ただ、先入観とか違和感とか言うものは往々にしてあると思う。
(例えば、原作では欧米人風のキャラクターにも関わらず、実写化した際に日本人がキャスティングされるのは違和感あるとか……ね。でも、これは作外の話なので置いておきましょう。)
当初のストーリーでは、「マー」は得体のしれない“観客の誰にも理解できないモンスター”だったようです。
それを、監督であるテイト・テイラーさんが生い立ちの部分(なぜ、マーがこのような行動を起こすのか? というバックボーンの部分)を描くように変更したそうです。当初のストーリーも観てみたい気もするのですが、本作はリベンジ・スリラー(復讐劇)として十分に面白いのです。
さて、作品の中身の話に移りましょう。
まずは、マギー・トンプソン(ダイアナ・シルヴァーズさん)が可愛い!
母親との距離感とか、悪いことと知りつつも周りに合わせようとする16歳のモラトリアムな感じが……もう、可愛い。
ボーイフレンドのアンディ・ホーキンス(コーリー・フォーゲルマニスさん)は、ベビーフェイスでこれまた可愛い。やんちゃでストーリーのキーとなるキャラクターです。それ以外のマギーの友人たちは、良くも悪くも、お友達(モブ感)の域を超えません。ただ、主張が強いため印象には残ります。
虚勢を張るマギーの母親・エリカに、武骨な印象のアンディの父親・ベン。そして、ベンと付き合いのあるメルセデス。挙げるとキリがないくらい個々のキャラクターが強いですね。
(本作を語る上で念のため触れておきたいのが、ベン・ホーキンスの男性器が映っている点。偽物かもしれませんがモザイク・ぼかしはありませんでした。)
そして、主人公のマーこと、スー・アン・エリントン(オクタヴィア・スペンサーさん)。
演技がすごいの。その凄さは、本作を2回観るとすごく分かるの。
初見では、主人公であるマーが冒頭10分くらいまで出てこないですし、その行動理由や関係値なども分からないままに話を受け取ることになります。
冒頭25分くらいで、恐らく「マギーの親たちと、スー・アンには隠されたつながりがある」という事は理解できますが、具体的に何が起きたのかは中盤~後半まで隠されていますからね。
そのため、2回目に「すでに分かっている関係値」を踏まえてみていくと、「この表情、このセリフ、この視線はそういうことか!」とグッときます。
※私は、1回目を吹替版で2回目を字幕版で見ました。
ストーリーは無機質なモンスターでは決してなく、マーの回想とその過去に対する復讐劇。
その復讐内容に異質さがあり、サブタイトルの「サイコパス」という言葉に繋がっているのでしょう。怖さというものは控えめですし、若者たち目線でも自業自得と言わざるを得ない。また、ホラー映画では「一番フォーカスをあててほしい殺害シーン」は、これまでのゆったりとした流れをぶった切り、唐突に終えてしまうのは少し残念ポイント。
本作では、トドメを刺すシーンというのは、あまり描かれていないのよね。
そもそも論で行くと、「こいつ邪魔だな」で殺害したのは動物病院での1件だけで、それ以外は「復讐の直接的な原因を作った2名」だけ……。
うん。被害者が少ない。
高校生たちは被害者じゃないのか? という、あれはマーの学生時代の再現に利用されていただけで、復讐(殺害)とは別の軸なのよね。この辺は、下の「考察」でまとめていきます。
ラストでマギーとマーが対峙するシーンのセリフも、吹替版と字幕版では少し印象が変わります。
下記は吹替版のマギーのセリフです。
【吹替版】
引用元:マー -サイコパスの狂気の地下室-
弱虫じゃない。それに私はエリカじゃない。
私は「母・エリカと私(マギー)は別人だから投影するな」というニュアンスで受け取ることができます。
これはスーっと入ってくるのですが、字幕版だと印象がガラリと変わります。
下記は字幕版のマギーのセリフです。
【字幕版】
引用元:マー -サイコパスの狂気の地下室-
私は卑怯じゃない。母とは違う。
どう感じたでしょうか?
私は、「あんな卑怯者の母親と一緒にするな!」というニュアンスに受け取りました。
エリカとマギーの関係値は、そこまで悪くないないため「ん? なにこの突き放し?」となります。
ストーリー以外の話をすると、カメラワークが不思議な印象を受けたんですよね。
ところどころ、視線誘導の方向とは違うカメラアングルに切り替わることが合って、「ん?」と違和感を感じたのが印象深いです。(オカシイじゃなくて、何かひっかかる……みたいな印象が残るの。)
何を表現しているのか? 意図を読み取れなかったのは悔しいなぁ。
洋画全般に言えることでしょうが、本作の字幕版でも「吹替版に比べて強い表現(突き放すような表現や直接的な表現)」が利用されています。
そのため、どちらか一方を見ただけでは印象が変わる可能性がありますね。
ストーリーを知った上で、マーの表情や間に注目してみると面白いですよ!
考察
マーの意味は?
これ吹替版だけ見ると疑問が残るんですよね。
「スー・アン・エリントン」なのに、なぜ初対面の高校生にいきなり「マー」というあだ名をつけられるの? って……。
でも、字幕版で見ると「マー」と呼ぶシーンは、「ママ」という字幕になっています。
要するに、「MA(マー)」は「母(Mother/Mom/Mama)」を表す言葉の1つということですね。
色々と世話を焼いてくれるスー・アンは、俺たちにとっちゃ“カーちゃん(MA)”みたいたもんだぜ?
と、こうすると分かりやすくなりますね。
吹替版を見る場合、マー=母親を表す言葉という事だけは、作品を観る前に知っておくと良いかもしれませんね。
マギーとジーニーの出会いのシーン
マギーとジーニーの出会いは、ラストシーンへの(分かりやすく)大きな伏線ですね。
ここでジーニーを手助けした後のセリフに注目。
これはラストシーンで、ジーニーがマギーを救い出すことを示唆する伏線になっていますね。
字幕でも引っかかりはするのですが、別のニュアンスでも受け取れてしまいます。
下記の字幕版セリフからすると、転校初日の初登校で緊張していたマギーが、ジーニーと会話することで緊張がほぐれた。あれ? 私なにに緊張してたんだっけ? でも、「あなたも(ありがとう)」という捉え方もできます。
【字幕版】
引用元:マー -サイコパスの狂気の地下室-
ジーニー「ありがとう。恩人よ。」
マギー 「あなたも」
マギー (“あなたも”?)
吹替版だと分かりやすい表現になっているため、伏線としてしっかり意識できた人は多いでしょう。
「助ける」という分かりやすい言葉を使っていることで、伏線としてしっくりくる(逆に言えば、ストーリー的にひっかかる)ポイントを見事に作り出していますね。
【吹替版】
引用元:マー -サイコパスの狂気の地下室-
ジーニー「親切にどうも。助かったわ。」
マギー 「こっちも助かった。」
マギー (助けてもらったっけ?)
しかし、このシーンの直後に出てきたステュに全てを持っていかれた感が否めないのよね。
このステュの喋り方は、吹替版・字幕版ともに独特!!
だから、このシーンの事を気に留めない人が多いかもね。(←そんなことないか!)
ホーキンス警備社の車を見て、マーが「そういうこと?」と発言した理由
「私も高校時代 よくやった」等という、後に続くセリフは建前。
ここでの「そういうこと?」は、マーの復讐相手である「ベン・ホーキンス」と関わりがある可能性を考えたことからのセリフです。
セリフのタイミングや、このセリフ前の表示が注目ポイント。
アンディ・ホーキンスに視線をやり、どこか若き日の「ベン・ホーキンス」の面影を感じた。
車にプリントされた「ホーキンス警備社」で、「もしかしたら、アンディはベン・ホーキンスの息子なのでは?」という思想になり、「そういうこと?」の発言に繋がります。
そのため、ネット検索で「アンディ」から「ベン・ホーキンス」までしっかりたどり着けて「当たり」と発言していますね。このことから、「ネットで調べたタイミングが、アンディとベンの繋がりが『そういうこと?』という推測から、『当たり』と確証に変わった瞬間」となります。
もしかしたら、この邂逅により“一連の復讐劇”が始まったのかもしれません。
なぜなら、これまで同窓会にも出ず、ベン・ホーキンスが警備社を立ち上げたことも知らなかったのですから……。
マーがマギー達をやたら心配する理由
心配のベクトルが違うのがポイント!
「あなた達が心配」じゃなく、「私は自分を許せない」というセリフね。
もしかしたら、アメリカではポピュラーな表現かもしれないけれど、日本では少し遠回しというか違和感を感じるセリフのチョイスだと感じてしまう。
となると、ここのセリフに込められた真意は、「(せっかく、この高校生たちを過去の人物に投影する事を思いつき、実行に移せる機会を手に入れたのに、それを事故で失ってしまう事になったら)私は自分を許せない」という自分本位なセリフと受け取る方が面白い!
終盤で、アンディに対してマーが言った「嘘つき」の意味
アンディが保身のために発した「愛している」に対しての返し――。
この時のマーの表情がすごい! 戦慄するわ。
ベン・ホーキンスは、マーに対して「愛している」なんて言葉をかけることは無かった。それでも、ベンの事は好きだったから“そばに居る”だけで十分だった。(←これがラストの笑顔の真意)
ベンを投影しているアンディが、「ベンが決して言わないセリフ(地雷)」を踏んでしまったことで、「ベン・ホーキンスは、そんなことを言わない=嘘つき」という言葉に繋がるのでしょうね。
アンディが、マーを“愛している?” か、“愛していないか?” という意味合いでの嘘つきではないのがポイントですね。
ジーニーは本当に病気なのか?
私は病気じゃないと考えました。
ジーニーの行動と病気がちぐはぐしているよね。
警官(保安官)を銃で撃った後にマーは手伝わせています。本作で医者が現れることは無いですし、マーが動物病院に勤めていることから医薬品は容易に手に入るという裏付けまであるのです。
副作用かもしれないけれど、薬と言って注射をされたジーニーはあきらかに意識が朦朧としていますから、薬でジーニーの体調を「悪い状態で安定させていた」ようにも感じ取れました。
じゃあ、なぜジーニーはその後学校シーンで出会わなかったのか? という疑問が生まれます。
これは、スー・アンが学校に行くのを止めていたからです。
学校には「トンプソンの娘・マギー」や「メルセデスを彷彿とさせるヘイリー」「ベンの息子・アンディ」など、自分の娘であるジーニーに過去の出来事と同じ目にあって欲しくないというスー・アンのやさしさの表れとも言えますね。
過去に苦しんだスー・アンが、現在も娘が難病に患う(=苦しみ続ける)ことで、心が壊れたという見方も出来るかもしれません。
ですが、この考えの場合、過去を投影するとか地下室で一緒に騒ぐという描写は少し違和感を感じます。
マーが過去の一件をきっかけに、DID(解離性同一性障害)を発症したという考えもできなくもないです。
頭痛がすると言ってぼーっとしているシーンや、作中に表現が無い獣医師の殺害時などですね。笑顔でパーティに参加したり、車で泣いたり、店で怒ったり、情緒が不安定なことは感じ取れるのですが、「多重人格」的な表現が無いように感じます。
更に作外の話をすると、日本語のサブタイトルにある「サイコパス」があるため「DID(解離性同一性障害)」の線はナシかなと思いました。(多重人格的な表現・演出が無いからかもしれないけれど、サブタイトルはサイコパスじゃなく多重人格でも良かったわけで……。)
高校生を利用した過去の投影
マーは、過去をやり直したかった。
エリカやメルセデス、ベンをはじめ「いじめを受けた過去」ではなく、ベンと一緒に笑顔で過ごす学生生活を……。
それは決して出来ることではないけれど、同級生の娘や息子を投影すること。そして、アルバムをそれらで上書きすることで「やり直す」という思考に至ったのかな。
この辺りは、脚本修正前の“誰にも理解できないモンスター”の名残りが残っているのかもね?
黒人は一人で良いと顔を白塗りにしたり、口を縫い付けたり、肌をアイロンで焼いたりしたのは、過去の投影を理想に近づけるためと考えます。
全ての人間が恵まれている訳では無ない。努力もしないで“与えられた”人間から、その“与えられたもの”を奪う事で「何も持たない自分」と平等にして「自分の理想に近づける」ことを表現しているのでしょう。そして、当時の再現として「黒人は一人であった」ということから、ダレルの顔を白塗りにすることで、より再現度を高めているのでしょう……。
地下室が表すもの
マーの家自体が、「マーの心」を表していると考えました。
上階は「今現在のマーの心」、地下室は「高校時代に壊れたマーの心」という考え。
【上階】
今は娘という存在もあり、過去の思い出(写真)もある。
娘(あるいは投影した自分自身)には同じような思いをさせたくないと、閉じ込めるという方法を取ってしまった。過去のスー・アンがベンから「良い(実際は揶揄された)」と言われた「髪」について、娘の髪も切ってしまおうと考えるくらいに、過去に囚われながら今を生きている。
モノが少し動いていただけで気づくくらいに、心が張り詰めている……と考えられます。
【地下室】
高校時代のいじめで壊れた心。
色々なものが雑多におかれ、壊れた拳銃(戦う事が出来なくなった心)までもが置かれている。
そこに、マギーやアンディが来ることで、壊れていた心=時間が動き出した。地下室で高校生たちと混ざって過ごすことは、マーにとって青春のやり直し。
ここでの高校生たちは<マーにとっての過去>であり、上階とは決して混ざり合ってはいけない。だから、マギーとヘイリーが上階に入ったことを知ったとき、何を知ったでもなく激怒したのでしょう。
狂気の地下室とは、マー自身の壊れた心を指すと考えると面白いですね。
英語メモ
DEAD END
引っ越しの時に看板に書かれた言葉。意味は「行き止まり」。
Love your butt!!! HUGS!
マギーの昼食に貼られた付箋(マギーの母・エリカが書いた付箋)。意味は「愛してるよ!」。
buttは「お尻」という単語なのですが、「Lover your butt」は「あなたが好き」という意味だそうです。
直訳すると「あなたのお尻が好き」なのに英語って難しいです――。
最後の「HUGS」は「ハグ」を意味する言葉でメールや手紙の最後に付ける常套句のようです。
HEY YOU! JANITOR’S CLOSET AFTER SCHOOL Shhhh XOXO BEN
過去のマー(スー・アン)に送られた手紙。意味は「放課後 公務員の倉庫へ ベンより」。
「Shhhh」は「シー(静かに)」という意味で、「XOXO」は「キス&ハグ」を指す言葉のようです。
「X…キス」「O…ハグ」のようですが由来などは知らないです。
手紙の末尾に「ハグ」ってつけるのは、アメリカの文化なのかな?
(日本で言う敬具とか草々よりも、もっと軽く使えるシメの言葉って感じ?)
How to Find a Hidden Tracker on a Car
マーがネットで調べた言葉。意味は「追跡装置の見つけ方」。
D.V.M
マーの勤め先の窓ガラスにペイントされた言葉。意味は「動物病院」。
Doctor of Veterinary Medicine の略称で、アメリカの獣医師を指す言葉だそうです。
(浅学なので「動物病院って、Animal Hospitalじゃないのか!」と驚きが隠せません……。)
結び
原題は「Ma」で、日本語タイトルが「マー」だと“弱い”というのは分かるんだけど、「サイコパスの狂気の地下室」というサブタイトルがダサいと感じるのは私だけ?
「狂気の地下室」だけなら良かったんだけど、あの“リベンジ”の全てを「サイコパス」という言葉に集約してしまうことに稚拙さを感じてしまった。そこがちょっとだけ残念ポイント。
でも、作品の中身はしっかり面白いのでオススメです。